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JOY FM × まいぷれ宮崎

パーソナリティ My History

パーソナリティとして誕生するずっと前…こんな幼少期を過ごしていました。

2024/06/13

宮崎の情報メディア「JOY FM」と「まいぷれ宮崎」のコラボ企画の新シリーズ『パーソナリティ My History』がスタート!

パーソナリティとして誕生するずっと前…ひとりの人間としてどこで生を受け、どのような幼少期を過ごしたのか…家族や、生活環境から、実は!話として…当時のエピソードを交えながら、ラジオに関わるキッカケまでの人となり(歴史)を紐解いていきます\(^o^)/
毎週 月~木 曜日 8:20-10:55『JOY FM HYBRID MORNING』のパーソナリティ『木村 つづく』さん
毎週 月~木 曜日 8:20-10:55『JOY FM HYBRID MORNING』のパーソナリティ『木村 つづく』さん

第1回 パーソナリティ My History『木村つづくの物語』

―― 第1回目は、宮崎県延岡市に生まれた木村つづくさんのMy Historyをお届けします。1971年11月9日、延岡市で生まれたつづくさん。彼の人生を紐解いていきます。
延岡で産まれた…赤ちゃんの木村つづく。
延岡で産まれた…赤ちゃんの木村つづく。

シーン1:幼少期の思い出

つづくさんの小学生時代、仲良しの友達と(2列目真ん中)
つづくさんの小学生時代、仲良しの友達と(2列目真ん中)
―― 木村つづくさんは、延岡小学校から岡富中学校へと進みました。国語や算数、技術家庭が得意な少年だったようです。

つづくさん: 「特に印象に残っているのは、少年野球のことですね。
3年生から6年生までの間、城山クラブで練習に試合に励んでいました。両親が熱心に応援してくれて、特に親父にはよく自宅前でキャッチボールをしてもらったり、バッティングセンターに連れて行ってもらったりしました。そのおかげで、ある試合で2ベースと3ベースヒットを打って活躍し、そのことが夕刊デイリーに掲載された時に、両親が喜んでくれたのがとても嬉しかったです。」

岡富中学校野球部の仲間と!(最前列左から4番目がつづくさん)
岡富中学校野球部の仲間と!(最前列左から4番目がつづくさん)

シーン2:学校生活とリーダーシップ

―― つづくさんは全校委員長にも選ばれました。その時のエピソードを語っていただきましょう。

つづくさん:
「小学校の時でしたね、全校委員長を決めるという行事がありました。各クラスから1名の立候補者を出さなければならなかったんですが、誰を出すかでみんなが揉めてしまって。そういう雰囲気が苦手で、思わず手を挙げてしまったんです。そしていざ選挙になったんですが、少年野球の仲間たちの組織票が動き、なんと全校委員長に選ばれてしまいました(笑)。
今振り返ると、リーダーシップを取る性格ではなく、むしろただの自己中な子供だったんですが、周りの友達が優しくて面白くて、おかげで楽しい学校生活を送ることができました。」

つづくさんのお父さんの似顔絵。木村つづく作。
つづくさんのお父さんの似顔絵。木村つづく作。

シーン3:家族の影響

―― つづくさんの両親は公務員でしたが、自営業への憧れがあったそうです

つづくさん:
「両親ともに公務員で、郵便局員の父と公立の保育士の母がいました。幼い頃から『公務員になれ、公務員になれ』と言われ続けていたんですが、全く違う道を歩むことになりました。
大学卒業後しばらくして広告代理店に就職し、営業をひたすら頑張る日々でしたが、この営業経験が自分を成長させてくれたと感じています。」
広告代理店時代は、大変でしたけどやり甲斐があり天職だと思っていました。
広告代理店時代は、大変でしたけどやり甲斐があり天職だと思っていました。

シーン4:ボクシングとニューヨーク

―― つづくさんは、会社員時代の28歳の時にボクシングと英会話を始め、初の自由旅行でニューヨークに行くことになります。

つづくさん: 「腕っぷしに自信が無いことや英語が話せないことにコンプレックスを感じていた私は、広告代理店時代に、ボクシングと英会話を習い始めました。
28歳の時に、9日間の予定でニューヨークに行きましたが、これが本当に刺激的で楽しい経験でした。これが後の人生のターニングポイントになるとは、その時は思ってもいませんでした。
ボクシングでは県大会で2位の成績を収めましたが、実際のところ、フェザー級には3人しか出場しておらず、1回戦は不戦勝で、決勝戦では相手選手にボコボコにされて判定負け。それでも県で2位という結果でした(笑)。」
1回も勝たずに県大会2位(笑)当時29歳!
1回も勝たずに県大会2位(笑)当時29歳!

シーン5:バックパッカーとラジオの始まり

―― 30歳で仕事を辞め、バックパッカーとして旅をしたつづくさん。そこでの経験がラジオへの道を開きました。

つづくさん: 
「30歳の時に仕事を辞めて、2年弱の間、バックパッカーとして世界30ヶ国を旅して回りました。この経験のおかげで、言葉を越えたコミュニケーションが得意になりましたね。言葉が通じない国でもどうにかなるという体験が何度もありました。
宮崎に帰ってきた時に当時、エフエム宮崎に井上さんというプロデューサーがいらして、広告代理店時代から一緒に営業に回った仲でした。井上さんに「旅の話をラジオで話してみないか?」と誘われ、当時の『ポッキーのスーパーレディオクラブ』に2回ゲスト出演させてもらいました。その後、井上さんから「朝の番組を作りたいので企画を考えてみないか」と言われ、広告代理店時代の経験を踏まえて企画を立案したところ、「いっそのこと自分でパーソナリティをやってみたら?」と言われたんです。最初はとても悩みました。パーソナリティなんて“裸で町を歩くようなもの(=自分の全てを世間に知られてしまう)だ”と思っていましたから。
しかし、井上さんに背中を押され、この仕事にチャレンジすることにしました。これが今の『HYBRID MORNING』の始まりなんです。
井上さんは天国に旅立ってしまいましたが、本当にお世話になった方です。」
ラジオに関わるキッカケを、当時の想いを交えてしみじみと語るつづくさん。<br>
ラジオに関わるキッカケを、当時の想いを交えてしみじみと語るつづくさん。

エンディング

木村つづくさんありがとうございました(*^^*)
木村つづくさんありがとうございました(*^^*)
「木村つづくさんの人生には、家族や友人、そして様々な経験が色濃く影響しています。これからもつづくさんの活躍を期待しています。」

「次回も、FM宮崎・パーソナリティ My Historyをお楽しみに。」